恩師 大堀秀夫先生の思い出

私は、1969年早稲田大学文学部の教育学専修を卒業しました。
ルソーの『エミール』、モンテッソーリの『子どもの家』の本を読んで感銘を受けましたが、大学卒業後は、出版社や印刷会社、不動産会社など職を転々とし、
卒業後1年4ヶ月して伸芽会に就職しました。

経営者の大堀秀夫先生にお会いした時に、どこか人を惹き付ける温かいものを感じ、私の方から話しかけてしまいました。

私が伸芽会に在籍していた2年半の間に、大堀先生は、幼児教育について、私にトコトンお話してくださいました。
早稲田大学の同級生で、イギリスにモンテッソーリ教育の勉強のために留学していた加藤節子さんが帰って来た際に大堀先生に紹介すると、大変歓迎してくださり、伸芽会で一緒に仕事をするよう話をしてくださいました。
私と加藤節子は結婚しましたが、結婚式では大堀先生が感動的なスピーチをしてくださいました。大堀先生はまさに私の恩師です。

伸芽会を辞め、1972年にっけん日本研究所を開校、1991年に、にっけん小野ビルを建てた際には、大堀先生に感謝状を贈らせて頂きました。



       小野忠男         大堀秀夫先生


小野忠男     大堀秀夫先生     小澤潔(小沢潔)先生


大堀先生が70歳のころでしょうか。
ホテルニューオータニで妻の節子と3人で食事をした際には、「幼児教育の仕事を辞めたら、小野君のところに遊びに行きたい。」と楽しそうにおっしゃっておられました。今でも、大堀秀夫先生を思い出す度に感謝の気持ちでいっぱいになります。

【大堀秀夫先生のプロフィール】
昭和2年、東京都豊島区生まれ。立教大学大学院・教育学研究科を卒業後、立教大学・助手および文化女子短期大学・講師として勤務。その後、東京で幼児教育の専門機関「㈱伸芽会」を設立し、晩年まで社長を任務した。大堀さんの両親は福井県大野市出身であり、大堀さん自身も戦時中に大野氏に疎開していた経験があったことから、東京で「㈱伸芽会」を経営しながらも、福井県の教育界に貢献したいと考え、昭和50年9月10日、親戚の前理事長・桑森眞介の実家を事務所として、「財団法人伸芽会育英財団」を設立した。設立に必要な資金の大部分は大堀さんが拠出し、初代理事長は大堀さん自身が務めた。著書に幼児教育用図書「子供を大きく伸ばす小学校受験ー私立・国立小学校入試合格の大切な真実、小学館、1995年」など多数。