まど・みちお 子供の頃 台湾時代 捕虜の話 まど・みちお小野忠男3


   小野忠男        まど・みちおさん
小野 まど先生は子どもの頃、班長とか級長とか、なったことがないんですって、目立たない子だったんですって。
尾上 まぁ、大人しいタイプでいらっしゃっるから。
まど 劣等生ですから、とにかく。
尾上 お歌が上手だから、お歌をみんなの前でお歌いになって。
まど 歌と絵だけですよ、ほめられたのは。あとはだめ。
小野 歌はやっぱり先生、みなさんの前で?
まど 先生が、お前歌えって。ただおじいさんと2人で暮らしていましたからね。友達はね、兄さんとか姉さんとかいてね、いろんなね、きれいな歌をね、私の知らない歌を覚えてくるんですよ。それが本当にうらやましくてね。
小野 兄さんやなんかがいるから、そこから覚えてくると。
まど 私は何も知らない。おじいちゃんしかいませんからね。誰からも教えてもらえないんでね。それが本当にうらやましくかったですね。学校でも教えてくれないですからね。
福田 じゃぁみんなの前ではどんな歌を?
まど 習った歌を歌うんです。
福田 海は広いな大きいな〜とか?
まど 何を歌ったかは今は覚えていないですけどね。
小野 われは海の子〜へぇ〜。

尾上 今年は本当に暑くて猛暑だから、先生が一番暑さにお強いのかしら。
まど いや私もそんな、台湾にいましたからね。相当暑さには、自信があったけどほんと今回暑いですね。
小野 台湾の子ども時代の記憶っていっぱいありますか?
まど それは数えきれないほどあるでしょう。
小野 いくつまで何歳までいらしたの?台湾は。
まど 昭和18年だから30代か40代くらいまでね。それまでずっと台湾にいましたからね。
小野 じゃあ本当にずっと台湾でお過ごしになられたんですね。
まど 灰をね、もみがらをね、真っ白になるように焼いて、それが灰になってるんです。それを担いでね、「はーい」って。それから豚の血ね。あれも。もうなんでもかんでもみんな売りに来るんです。それを名前を言いながらね、切って。
尾上 豚の血、何にするんですか?
まど 台湾は料理に使うらしいですよ。
尾上 飲むんじゃなくて。
まど もう固まってます。豚の血は液体ですけど、あれは羊羹みたいに固まりますから。
小野 じゃあなんでも商品にするっていうことですね、先生。
まど それで稼いでるんだからね。
福田 その時先生は子どもだったんですよね?
まど そうですね。
小野 先生は子どもの時から兵隊までずっと台湾で過ごしたんですね。
まど 芝居がね、とってもね、手でやる芝居とか体でやる芝居とか、全部村を回るんですよね。祭りなんかの時は、あっちやらこっちやら回ってましたよ。最後はフィリピンの捕虜になっとったんです。
小野 先生が捕虜に?
まど 最後はね、シンガポールで捕虜になっとったんです。イギリス兵がね、(シンガポールを)占領してたんです。毎日使役、雑務にね、土掘ったり物運んだり、引っ張りまわされるんです。
でもね、アメリカ人が捕虜に英会話を教えとったんです。その英会話を受けた者のなかでね、成績がいい者がね、使役をしないで通訳するようになってね。私は通訳するようになったんですよ。
小野 すごいじゃない、先生。
まど ところがね、英語を使おうと思ったら、台湾語がでちゃうんです。
台湾語でね、慣れとったでしょう。今はみんな忘れましたけど。台湾語が出たりしてね、もう本当に笑いましたけどね。
小野 先生は使役じゃなくて、通訳の方に・・・
まど 通訳だから、あれは助かったですよ。その先生がね、アメリカにおった人ですけどね、日本人ですけどね、英会話をやってくれたんですよ。そこに30人くらい出席しとったんですよ。その中から4、5人選ばれてね。
小野 30人のうち4、5人が通訳になったんだ、先生。
じゃ先生は、言葉に対するあれが(能力が)優れていたってことかな。ねぇ、先生、言葉に対する・・・どうか知りませんけどね、先生。あるいは英語が得意だったとか。
まど いえいえ英語は得意っていうんじゃなくて。
尾上 先生は本当になんでもおできになりますよね。橋の設計図とかを描いて、その工事をやってらしたんだから。理系のそういうことがおできになる方ですから。
福田 さっきも幾何がすごいって言ってね。
小野 先生、設計もなさってたんですよね。
まど 設計というのはね、力学なんですよ。例えば橋を架ける時にね、ここにどれだけの重さをおいたらこれが壊れるかとか。そういうことなんですけどね。だから力学の本を見てすれば、まあ誰でもできることなんだけどね。アーチみたいなものになると、また計算も違うんですよね。
鉄骨とかね、無数にあるわけで。それで私は工業学校しか出てないんだからね、力学やったって言ったって一番初歩的なものなんですよ。だからそういうところに入ったけれども。設計するって言ったって欄干を設計するって言ったって、手すりを作るくらいでね。それは面白かったですよ、デザインするのはね。だけどその力学の方までいかないんですよ、はじめはね。後から少ししましたけどね。
小野 設計の勉強をしていたから、先生の絵は、図形的な絵が多いんですね。(まど・みちお先生の絵は図形的なものが多いので、不思議だなと思っておりましたが、設計をされていたとのことで、納得した次第です。)


まど・みちお さんの半生。
山口県徳山市(現在の周南市)時代から台湾時代