私の無二の親友は、元国務大臣の小澤潔先生です。
私が34歳の頃から26年にわたりお茶や書、陶芸を一緒に学んだり、10年にわたり大相撲の溜席(たまりせき)で二人並んで観戦したりしました。
まずは、お茶の思い出から・・・
私が34歳の頃、当時国立市に在住していた日本水産株式会社(現:ニッスイ)の元社長の奥様から、お茶を習うことになりました。
そんな折り、「私もお茶を習いたい!」とおっしゃって、茶会にいらしたのが、当時、衆議院議員をしていらっしゃた小澤潔先生です。
それ以来、長きにわたり、小澤潔先生と一緒にお茶を習っておりました。

1988年8月31日 左から久保康夫くん、お茶の先生お二方、小澤潔(小沢潔)先生、小野忠男
小澤潔(小沢潔)先生の別荘にて

1988年8月31日 左 小澤潔(小沢潔)先生 中央 小野忠男 右 久保康夫くん(早稲田大学の同級生)
小澤潔(小沢潔)先生の別荘の茶室にて

1988年8月31日 左 小澤潔(小沢潔)先生 中央 小野忠男 右 久保康夫くん(早稲田大学の同級生)
小澤潔(小沢潔)先生の別荘の茶室にて

左 小澤潔(小沢潔)先生 右 小野忠男
中井先生の茶室にて

左 小澤潔(小沢潔)先生 中央 小野忠男 右 杉山正憲 先生
杉山正憲先生のご自宅にて
後年には、お世話になっていた医師の杉山正憲先生も茶会に参加してくださったため、大変楽しい茶会となりました。
《茶会の秘話》
茶室の床の間には、横山大観の富士の絵や、菱田春草の滝の絵、奥村土牛の鯉の絵などが掛け軸として飾られておりました。
茶会が終わると、元社長・当時、相談役のご主人がそれらの絵について大変詳しく教えてくださり、お茶だけでなく絵画の勉強などもさせていただきました。
その元社長さんが話してくださった思い出話を、1つご紹介いたします。
「戦争直後、アメリカ兵と交渉しなければならず、そこに誰が出向くかという問題があった。英語を話すことができる、高学歴な人は何人もいたけれど、その人たちは恐怖からアメリカ兵の前へと出ていかなかった。対して私は片言の英語しか話せなかったが、勇気を出してアメリカ兵との交渉の場に出向いた。すると、『面白い人間だ!』とアメリカ兵から歓迎されたのだ。高学歴の人たちが恐れていたようなことは起こらなかった。」
というお話もしておりました。
私はその話を聞いて、精神性・人柄という学歴を超えたものの力の存在を感じ、感銘を受けました。
平成元年(1989年)1月20日には、中井流茶道家元の中井辰

それから20年以上になりますが、2011年の4月12日に、小澤潔(小沢潔)先生と、二人でお茶の精神「和敬清寂」を書きました。
和敬は小澤先生が、清寂は小野忠男が書きました。
写真のように色紙に2人で書いて、掛け軸にして10本ほど作りました。
2011年4月12日 「和敬清寂」 和敬-小澤潔(小沢潔)先生・書 清寂-小野忠男・書

2011年5月1日「和敬清寂」の軸箱にサイン
二人の書いた「和敬清寂」の掛け軸で茶会も催しました。
2025年6月23日、書道教室の友人の高橋邦名さんが私の自宅に見えたので、小澤潔先生と書いた「和敬清寂」の色紙を見せてあげました。

2025年6月23日 左から 小野忠男 高橋邦名さん
「三人一如」の書は2006年に書いたものです。

2006年12月28日


これらの書を書く過程を動画に収めましたので、ぜひご覧ください。


陶芸も、元国務大臣の小澤潔先生が、72才の時に始められて、私も一緒に学ぶこととなりました。たくさんの湯のみ茶碗、花入れ、お皿など、作闘しました。
その作品の映像も公開しております。
小沢潔先生が国会議員を辞められて、大相撲の溜会に入会することになりました。私も小澤先生の紹介で溜会に入り、10年近く、両国国技館の土俵の1番近くで並んで、相撲を楽しみました。
1月、12月になると、何故か元国務大臣で「無二の親友」の小澤潔(小沢潔)先生のことを度々思い出します。
大関琴欧州の結婚式に、小澤潔(小沢潔)先生ご夫妻と、私と妻の節子でご招待を受け、横綱白鵬とご一緒に写真を撮った事や、鷹狩りに妻の節子共々、小澤潔(小沢潔)先生に連れて行って頂いたりと、懐かしい思い出でいっぱいです。


(左から 元国務大臣小澤(小沢)潔先生、大関 稀勢の里、小野忠男)
2009年4月28日撮影

(左から 元国務大臣小澤(小沢)潔先生、大関 日馬富士、小野忠男)
2009年4月28日撮影

(左から 元国務大臣小澤(小沢)潔先生、小野忠男、友人 久保康夫君)
茶会にて 1988年8月31日


(後列真ん中:小澤潔(小沢潔)先生、前列真ん中:小野節子、前列右:小野忠男)
鷹狩り

小野忠男
鷹狩り

妻 小野節子
鷹狩り







































