謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年のお正月は、妻の節子と、徳川家康が若き日を過ごした浜松城を訪ね、久能山東照宮をお参りいたしました。
子どもたちやご父母、先生方、にっけん全体の成功と発展をお祈りいたしました。


三日は、毎年恒例の小野家の新年会を、四ッ谷のホテルニューオータニにあるお寿司屋さんの久兵衛で催しました。
大間のまぐろの握りも出て、家族みんなで笑顔でお寿司をいただき、新年をお祝いいたしました。


今年も皆様のご健康、ご多幸を祈念申し上げます。

「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」の大中恩さん、逝去の報を受け


    大中恩さん       小野忠男 (ホテルオークラにて)


「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」などで知られる作曲家の大中恩さんが94歳で亡くなる、との知らせを受け、驚きと悲しみに包まれております。今年の7月に、大中さんのコンサートのご招待券をいただき、家内の節子と二人で伺ったときは、お元気なご様子でした。
大中恩さんの美しい笑顔、楽しい会話のひとときが、思い出されます。


お父様の大中寅二さん、お母様の大中文子さん共に、敬虔なキリスト教の信者で、大中恩さんもキリスト教を深く信じていらっしゃったと思います。
神の御もとへ召された大中恩さんの、平安を心よりお祈り申し上げます。


  小澤潔(小沢潔)先生 北原聖子さん(大中清子さん) 小野忠男 大中恩さん 小野節子 福田菊子
   2007年7月24日 大中恩さん83歳の誕生祝い (ホテルオークラにて)


      松谷みよ子さん  大中恩さん  小澤潔(小沢潔)先生  小野忠男  岩崎京子さん
   2006年1月16日 第3回にっけん小野童謡文化賞 贈呈式 (帝国ホテルにて)


小澤潔(小沢潔)先生と書いた“福寿”の作品について

国務大臣で、無二の親友の小澤潔(小沢潔)先生とは、二人で書をたくさん書きました。
小澤(小沢)先生が“福”、私が“寿”を、色紙、お皿、夫婦茶碗にも書きました。


 夫婦茶碗  小澤潔(小沢潔)先生 “福”   小野忠男 “寿”

10年ほど、小澤潔(小沢潔)先生と一緒に陶芸を習いましたが、小澤(小沢)先生が“福”、私が裏に“寿”と書き、湯呑を千点近く作り、結婚式や、叙勲の祝いなどの席で贈呈し、現在は何点かしか、残っておりません。

『いないいないばあ』(童心社)、『ちいさいモモちゃん』(講談社)、『いっすんぼうし』(にっけん教育出版社)などで知られる、児童文学作家の、松谷みよ子さんから、「“福寿”の湯呑茶碗を、10個、購入したい。」とお便りをいただき、小澤(小沢)先生と喜び合ったのも、懐かしい思い出です。

   松谷みよ子さん   小野忠男   小澤潔(小沢潔)先生
2003年12月14日「にっけん30周年記念忘年会」熱海にて

“福寿”の湯呑でお茶をいただくと、小澤(小沢)先生と二人で字を書いたことが、まるで昨日のことのように思われて、お茶も“福寿”の味がして、幸せいっぱいの気分になるから、ありがたいです。

前田常作先生の書の魅力について


  小野忠男     前田常作先生     小澤潔(小沢潔)先生
写真は、仏画や観音マンダラなどで知られる、前田常作先生の作品展に、小澤潔(小沢潔)先生と見に行った時の写真です。
     
             「無」前田常作先生
前田常作先生に書いていただいた、「無」を額装にして、毎日の様に見ていますが、“無尽蔵”や、“無限”のようなエネルギーを感じて、いつも力強い気持ちになります。

「観世音」前田常作先生

「観世音菩薩」熊谷守一 神無書房 発行「書 熊谷守一」より

「正念場」 中川一政 真鶴町中川一政美術館 発行「中川一政美術館図録Ⅱ」より

前田常作先生の「観世音」の字、画家、熊谷守一の「観世音菩薩」、画家、中川一政の「正念場」の書も、それぞれに人を惹きつけてやまない絵と同じように、人生、哲学、宗教、個性の輝きに溢れ、強い魅力を感じます。

そんなことを考えていたときに、「僕は、筆で色紙を書いたことがないから。」と、マジックペンで書いてくださった、まど・みちおさんの「ぞうさん」の色紙をみて、何とも言えない、温かい気持ちになりました。


   小野忠男    まど・みちおさん 
2000年8月2日 対談時に撮影(当時90歳)

小澤潔(小沢潔)先生、前田常作先生の書に感動!


 小澤潔(小沢潔)先生    小野忠男    前田常作先生
今朝、自宅を整理していましたら、友人で、元国務大臣の小澤潔(小沢潔)先生の書、画家で、元武蔵野美術大学学長の、前田常作先生の書の色紙がでてきました。
私は改めて、小澤潔(小沢潔)先生、前田常作先生の“書”に、感動いたしました。
「無尽蔵」
  
「浄」小澤潔(小沢潔) 作    「佛」小澤潔(小沢潔) 作     「忠潔」小澤潔(小沢潔) 作
  
「無我」小澤潔(小沢潔) 作   「無尽蔵」小澤潔(小沢潔) 作   「萬客我師」小澤潔(小沢潔) 作
  
「無」前田常作 作   「夢」前田常作 作    「身心」前田常作
  
「仏心」前田常作 作  「光呑万象」前田常作 作 「梵我一如」前田常作 作  

 
 雪節桃

「雪」小澤 潔(小沢 潔)
「節」小野 忠男
「桃」前田 常作   

2003年(平成15年)6月16日と、2006年(平成18年)12月28日、元国務大臣で、友人の小澤潔(小沢潔)先生、前田常作先生と、私の3人で、”三人一如の書”として、書を書いて遊びました。

前田常作先生の円相  小澤潔(小沢潔)先生の円相  小野忠男の円相

  小野忠男の書  小澤潔(小沢潔)先生の書  前田常作先生の書
書聖として有名な王義之の「蘭亭叙」は、酒を飲み、酔ってかいたそうですが、私達3人も、ビールで乾杯して、楽しみながら書をかきました。
画家と書、というと、熊谷守一の書、中川一政の書にも、魅力を感じますが、今朝、小澤潔(小沢潔)先生と、前田常作先生の書を見たときも、大変心に響くものがありました。

小澤 潔(小沢 潔)
1927(昭和2)年 東京都に生まれる。
1979(昭和54)年 衆院旧東京七区から自民党公認で初当選。(以来、連続七期当選(20年8ヵ月)。
自治・郵政政務次官、地方行政・法務・科学技術委員長など歴任。
1994(平成6)年  村山内閣で国務大臣に就任。一年有余にわたって国土庁長官北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官などを務めた。
2000(平成12)年 勲一等旭日大綬章を受章。


前田 常作
1926(昭和元)年 富山県に生まれる。
1949(昭和24)年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科に入学。
1958(昭和33)年 渡仏(一時帰国をはさんで1966(昭和41)年3月までパリに滞在)。
1979(昭和54)年 京都市立芸術大学美術学部教授となる。
1983(昭和58)年 武蔵野美術大学油絵学科教授となる。
1989(平成元)年 第23回仏教伝道文化賞を受賞。
1992(平成4)年 紫綬褒章を受章。
1994(平成6)年 武蔵野美術大学学長に就任。2000(平成12)年まで務める。
1995(平成7)年 富山県下新川郡入善町から名誉町民の称を受ける。
2000(平成12)年 武蔵野美術大学理事長に就任。2003(平成15)年まで務める。
2000(平成12)年 勲三等瑞宝章を受章。

ソプラノ歌手 森野美咲さん、おめでとうございます。


2018年10月26日の毎日新聞の記事より

森野美咲さんは、私の伯母である静代さんが、岡山県の森野家に嫁ぎ、その曾孫にあたるお嬢様です。
美咲さんは、中学三年から声楽を始め、高校時代には、声楽を教えていた父啓司さんに師事、東京藝術大学音楽学部声楽科ソプラノ専攻卒業後、ウィーンに渡り、ウィーン国立音楽大学院を修了されました。その後も弛まぬ研鑽を積まれ、先日開催された第87回日本音楽コンクールにおいて、見事第1位に選ばれました。

今年の8月には、お忙しい中、私の誕生祝いにも来てくださり、9月には、美咲さん、美咲さんのご友人、私達夫婦とで、お寿司を食べながら、ウィーンの話やオペラの話などを伺い、大変有意義な時間を過ごしました。

        小野忠男  森野美咲さん   
四ツ谷 ホテルニューオータニの「石心亭」前の日本庭園にて



小野忠男   森野美咲さん  フローリアンさん 小野節子
四ツ谷 ホテル二ューオータニの「銀座 九兵衛」にて

  
コンクールの様子はテレビでも放送されます。
・「クラシック倶楽部」(NHK−BSプレミアム) 
声楽部門 12月11日(火)5:00〜5:55

・ドキュメンタリー放送
「第87回日本音楽コンクールドキュメント」(NHKEテレ)
12月1日(土)16:00〜


私も放送を楽しみにしております。

森野美咲さんの今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。



2018年12月3日の毎日新聞の記事より

新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』について

弊社出版の『でんでんむしのかなしみ』(新美南吉 作/、井上ゆかり 絵)の絵本が、この一週間で300冊以上の注文があり、大変喜んでおります。
皇后陛下美智子さまが、第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演にて、「子供の本を通しての平和 子供時代の読書の思い出」というお話をされましたが、その中で『でんでんむしのかなしみ』についても、以下のように触れられております。

「まだ小さな子供であった時に,一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので,今,恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる,新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』にそってお話いたします。そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。

あの頃,私は幾つくらいだったのでしょう。母や,母の父である祖父,叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは,私が小学校の2年くらいまででしたから,4歳から7歳くらいまでの間であったと思います。その頃,私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた,と知った時,簡単にああよかった,と思いました。それだけのことで,特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。」
(宮内庁ホームページhttp://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html「第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演」より)

福沢諭吉』の絵本の共著者の杏林大学 元教授の相磯(草場)裕先生、NHKテレビ「おかあさんといっしょ」「なかよしリズム」NHK海外取材番組「童話の国々」等の元ディレクター、東京家政学院大学 元教授の五十野惇先生との対談の映像もありますので、ご興味のある方はご覧になってくださいね。


小野忠男の親子で楽しむ絵本の世界シリーズ~でんでんむしのかなしみ~作/新美南吉、絵/井上ゆかり、お話/五十野惇、草場(相磯)裕、読み聞かせ/築野友衣子 2017年12月制作

でんでんむしのかなしみ

でんでんむしのかなしみ